東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。
20年前、digの初めての仕事はSMAP
Dec 15,2016
色々なところで報道されていますが、SMAPが解散してしまうようですね。
僕は特にSMAPのファンではありませんが、このニュースがこのタイミングで出てきたことに、なんだか色々なことを感じてしまう。
それはdigの歴史に大きく関わっているからです。
digはこの絵から始まりました
20年前、僕は大手印刷会社を退職しました。
そのまま上場企業に勤務していれば、安定を手に入れることもできたかもしれない。
それまでぼんやりとしていて現実味のなかった自分のやりたいこと、
それが少しずつ見えてきた頃でしたが、それでも辞めるという決心はなかなかつきませんでした。
大きい企業の中で働くことに対して、何の不満もストレスもなかったけれど(これを言うと、みんな驚きますがホントですw)、それを少しだけ上回るやりたいことが出てきたというのが、その時の気持ちでした。
会社で働くことは嫌ではなかったけれど、もっと他のこと、自分が打ち込めることがしたいと思うようになっていたのでした。
組織の中で常に60%くらいの力で働いていた毎日、
それをできるだけ100%に近い力で働いてみたい、という欲求が自分の中で徐々に大きくなっていった頃でした。
やめれば明日からお金がなくなって食えなくなるかもしれない。
将来何の保証もない。
保険もないし、どこからもお金は借りられない。
やめるか、やめないか、本当に悩みました。
今と違って、企業をやめて一人で働こうなんていう人はまわりに一人もいませんでしたから。
その頃は、まだまだ完全な学歴社会であり、個人やフリーは社会の最底辺のヒエラルキーに位置していました。
社会への適応力が低く、組織の中で働くことが苦手だから個人事業主を選ぶとか、時間や枠に縛られず自由にやりたいからフリーの道を選ぶみたいな、周りからは企業に適応できない人が選ぶ職のように見られていたと思います。(今でもそう??)
そのまま上場企業に勤務していれば、安定を手に入れることもできたかもしれない。
それまでぼんやりとしていて現実味のなかった自分のやりたいこと、
それが少しずつ見えてきた頃でしたが、それでも辞めるという決心はなかなかつきませんでした。
大きい企業の中で働くことに対して、何の不満もストレスもなかったけれど(これを言うと、みんな驚きますがホントですw)、それを少しだけ上回るやりたいことが出てきたというのが、その時の気持ちでした。
会社で働くことは嫌ではなかったけれど、もっと他のこと、自分が打ち込めることがしたいと思うようになっていたのでした。
組織の中で常に60%くらいの力で働いていた毎日、
それをできるだけ100%に近い力で働いてみたい、という欲求が自分の中で徐々に大きくなっていった頃でした。
やめれば明日からお金がなくなって食えなくなるかもしれない。
将来何の保証もない。
保険もないし、どこからもお金は借りられない。
やめるか、やめないか、本当に悩みました。
今と違って、企業をやめて一人で働こうなんていう人はまわりに一人もいませんでしたから。
その頃は、まだまだ完全な学歴社会であり、個人やフリーは社会の最底辺のヒエラルキーに位置していました。
社会への適応力が低く、組織の中で働くことが苦手だから個人事業主を選ぶとか、時間や枠に縛られず自由にやりたいからフリーの道を選ぶみたいな、周りからは企業に適応できない人が選ぶ職のように見られていたと思います。(今でもそう??)
企業で働いていた頃。デジタルメディアの企画制作ディレクターでした。
会社をやめて一人で働くことに対して、父親の職業を見て育った別の自分が、どうしてもブレーキをかけていました。
また一方で、過去に大きな病気を経験した自分にとって、人生はやりたいことをやりたい時にやらなければ2度とできない、という想いも遺伝子レベルであったかもしれません。
結局、僕は11年勤めた会社を辞めました。
辞めてから思ったことは色々ありますが、一番感じたのは大きな組織で働くことは、業務処理以外の能力が問われるということ。
むしろそっちの方が重要だと思います。
企業で働くことの大変さは、やりたいことができる、できないという側面とはまったく別の部分、直接的に業務に関わる以外の部分にあると思います。
業務以外の部分に労力を使わず、組織から離れて100%を業務そのものと向き合ってガブリヨツでやってみたい、
辞める前はそんなことを思っていましたが、辞めて蓋をあけてみたら100%どころか200%以上の力を毎日出し続けなくてはならない現実と向き合って、相当に参りました。
喜びもあるけれど、想像していたより大変でした。
でもそんな状態になるのは、会社をやめてから3ヶ月くらい経った頃からで(意外に早くやってきた・・・)、それが来るまではヒマでしたね。
また一方で、過去に大きな病気を経験した自分にとって、人生はやりたいことをやりたい時にやらなければ2度とできない、という想いも遺伝子レベルであったかもしれません。
結局、僕は11年勤めた会社を辞めました。
辞めてから思ったことは色々ありますが、一番感じたのは大きな組織で働くことは、業務処理以外の能力が問われるということ。
むしろそっちの方が重要だと思います。
企業で働くことの大変さは、やりたいことができる、できないという側面とはまったく別の部分、直接的に業務に関わる以外の部分にあると思います。
業務以外の部分に労力を使わず、組織から離れて100%を業務そのものと向き合ってガブリヨツでやってみたい、
辞める前はそんなことを思っていましたが、辞めて蓋をあけてみたら100%どころか200%以上の力を毎日出し続けなくてはならない現実と向き合って、相当に参りました。
喜びもあるけれど、想像していたより大変でした。
でもそんな状態になるのは、会社をやめてから3ヶ月くらい経った頃からで(意外に早くやってきた・・・)、それが来るまではヒマでしたね。
まだ何も知らない20年前の自分・・・
街をブラブラしたり、働いてる友人のところへ昼に遊びに行ったり、好きなことをしてました。
そんな時に、当時フジテレビに勤める大学の後輩から依頼されたのがSMAP×SMAPの収録スタジオに飾る絵の仕事だったのです。
これが会社をやめてから、初めてdigとして請けた仕事でした。
絵だけはある程度描けたとは言え、実績のない僕に仕事を発注してくれた後輩の友人には、今でも本当に感謝です。
(その絵を見たリリーフランキーから、その後シャ乱Qのジャケットの絵の依頼も受けましたが 笑)
依頼内容は、スタジオのメインに飾る全員が集合している大きな絵と、各メンバーの絵、合わせて6枚。
それらを企業を退職してからの3ヶ月間で描き上げました。
事務所は、当時ちょうど同じタイミングで会社をやめたインテリアデザイナーの友人と2人でシェアしていました。
図面を引いている友人の後ろで、僕は毎日絵を描いていた笑
会社をやめて独立したことを知らせる案内状にも、このSMAPの絵を使いました。
納品した絵は、スタジオに掛けられて番組のオープニングにも毎回使われ、自分の絵をブラウン管を通して(液晶じゃなく!笑)毎週見るのは不思議な感じでした。
そんな時に、当時フジテレビに勤める大学の後輩から依頼されたのがSMAP×SMAPの収録スタジオに飾る絵の仕事だったのです。
これが会社をやめてから、初めてdigとして請けた仕事でした。
絵だけはある程度描けたとは言え、実績のない僕に仕事を発注してくれた後輩の友人には、今でも本当に感謝です。
(その絵を見たリリーフランキーから、その後シャ乱Qのジャケットの絵の依頼も受けましたが 笑)
依頼内容は、スタジオのメインに飾る全員が集合している大きな絵と、各メンバーの絵、合わせて6枚。
それらを企業を退職してからの3ヶ月間で描き上げました。
事務所は、当時ちょうど同じタイミングで会社をやめたインテリアデザイナーの友人と2人でシェアしていました。
図面を引いている友人の後ろで、僕は毎日絵を描いていた笑
会社をやめて独立したことを知らせる案内状にも、このSMAPの絵を使いました。
納品した絵は、スタジオに掛けられて番組のオープニングにも毎回使われ、自分の絵をブラウン管を通して(液晶じゃなく!笑)毎週見るのは不思議な感じでした。
これ以外に各メンバーの肖像画も描きました。
あれから20年が経ちました。
digは今年でちょうど創立20周年を迎えましたが、20年前に初めて請けた仕事がSMAPの番組セットであり、そのグループがこの節目に解散するという、、、なんだか感慨深いです。
フジテレビに納品に行く前、自宅の前で絵と一緒に撮影された20年前の僕は、まだ本当の厳しさを知らない頃です。
僕も若いですが、20年前ですから当然SMAPのメンバーも若い。
この写真を見ていると色々なことを思い出します。
企業をやめて自分で一歩を踏み出した時、隣にいてくれたのがSMAPでした。
20年経ってSMAPからも独立する気分です。
思い返すと20年はあっと言う間、悩んだけれど20年前の決断もあっと言う間、あっと言う間の連続で人生は成り立っている。
振り返れば色々あるけれど、人生に必要なのは、あっと言う間の中で自分がやりたいことをつかみ取ること。
月並みだけど、後悔しないことを一瞬で見極めること。
そのために常に素直でニュートラルな気持ちでいることが大切なのだと思います。
digは今年でちょうど創立20周年を迎えましたが、20年前に初めて請けた仕事がSMAPの番組セットであり、そのグループがこの節目に解散するという、、、なんだか感慨深いです。
フジテレビに納品に行く前、自宅の前で絵と一緒に撮影された20年前の僕は、まだ本当の厳しさを知らない頃です。
僕も若いですが、20年前ですから当然SMAPのメンバーも若い。
この写真を見ていると色々なことを思い出します。
企業をやめて自分で一歩を踏み出した時、隣にいてくれたのがSMAPでした。
20年経ってSMAPからも独立する気分です。
思い返すと20年はあっと言う間、悩んだけれど20年前の決断もあっと言う間、あっと言う間の連続で人生は成り立っている。
振り返れば色々あるけれど、人生に必要なのは、あっと言う間の中で自分がやりたいことをつかみ取ること。
月並みだけど、後悔しないことを一瞬で見極めること。
そのために常に素直でニュートラルな気持ちでいることが大切なのだと思います。