東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。
東京多摩地区はカルチャー震源地 1
Mar 07,2017
先週武道館で行われた"コレクターズ"の30周年記念ライブへ行ってきました。
デビューからもう30年、早いもんですねえ。
"コレクターズ"と言っても知らない人も多いと思いますが、一時期"ブルーハーツ"の2人(ヒロトは"コーツ"、マーシーは"ブレーカーズ"、どちらも元モッズ)と一緒に活動していたモッズバンドです。
"コレクターズ"のボーカル加藤さんは(当時はまだバイクというバンドのボーカル)、ヒロトに一緒にバンドをやらないかと誘われますが、どうしてもパンクの格好ができないので断ったら、その後ブルーハーツでバカ売れという話があります。
ヒロトもマーシーもみんなモッズだったという事実。
武道館の収容人数は1万人なので、空席ばかりかと思いきや、ほぼ満席で驚きました。
でも見る限り、ほとんどモッズの人は来てませんでしたけど・・・w
ところでモッズって、知ってます?
知らない人のためにちょっと解説しておきますと、、、
モッズはランブレッタのスクーターを改造するのがお約束。
1963年あたりから3年くらいの間、イギリスの若者の間で流行したカウンターカルチャー/ライフスタイルのことです。
アメリカのモータウンやR&Bを好んで聞き、カーナビーストリートでオーダーした細身の3つボタンスーツにモッズパーカと呼ばれるアメリカ軍のカーキ色のコートを着て(踊る大走査線で織田裕二が着ていたあのコート)、ミラーをたくさんつけたランブレッタやベスパなどのスクーターで街を移動する、というのが彼らのスタイルでした。
パンクと違って政治的なメッセージは持たず、モダーンズを語源としているように現代アートやファッションなど最先端を好む、極めてイギリス的なファッショナブルな集団でした。
代表的なイギリスのバンドとして、”Who”、”Small faces”、”Kinks”などがいます。(70年以降では”Jam”そして”style council”)
アメリカのモータウンやR&Bを好んで聞き、カーナビーストリートでオーダーした細身の3つボタンスーツにモッズパーカと呼ばれるアメリカ軍のカーキ色のコートを着て(踊る大走査線で織田裕二が着ていたあのコート)、ミラーをたくさんつけたランブレッタやベスパなどのスクーターで街を移動する、というのが彼らのスタイルでした。
パンクと違って政治的なメッセージは持たず、モダーンズを語源としているように現代アートやファッションなど最先端を好む、極めてイギリス的なファッショナブルな集団でした。
代表的なイギリスのバンドとして、”Who”、”Small faces”、”Kinks”などがいます。(70年以降では”Jam”そして”style council”)
こちらは全身レザーでバイクを愛するロッカーズ。
同じ時期、それに対抗するグループとしてロッカーズがいました。
彼らはロックンロールを愛し、革パンにライダースを着てトライアンフのバイクに乗る、プレスリーを代表とするアメリカから流入したカルチャーがそのスタイル。
ビートルズは元々ロッカーズでしたが、ブライアン・エプスタインのアイデアにより、デビューの際マッシュルームカットのモッズスタイルで売り出したというのは有名な話ですね。
映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』の中でリンゴがインタビューを受けるシーンで「あなたはモッズ?それともロッカーズ?」と聞かれ、「No, I am Mocker(いや、僕はモッカーだよ)」と答えるシーンがありますが、僕は洒落の効いたこのシーンが大好きです。
彼らはロックンロールを愛し、革パンにライダースを着てトライアンフのバイクに乗る、プレスリーを代表とするアメリカから流入したカルチャーがそのスタイル。
ビートルズは元々ロッカーズでしたが、ブライアン・エプスタインのアイデアにより、デビューの際マッシュルームカットのモッズスタイルで売り出したというのは有名な話ですね。
映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』の中でリンゴがインタビューを受けるシーンで「あなたはモッズ?それともロッカーズ?」と聞かれ、「No, I am Mocker(いや、僕はモッカーだよ)」と答えるシーンがありますが、僕は洒落の効いたこのシーンが大好きです。
60年代前半モッズルックのビートルズが一番カッコいいですね。
当時イギリスでは、モッズとロッカーズは対立関係にあり、64年にロンドンから南へ列車で2時間ほど行ったブライトンビーチで2つのグループは大乱闘を起こします。
この事件は、モッズ側からはWho原作の映画『さらば青春の光』で描かれ、ロッカーズの側からは、”ストレイキャッツ”のデビューアルバムに収録されている「Rumble In Brighton」で歌われています。
1981年のライブ。ブライアン・セッツァーが若い!
聞いている音楽やファッションの指向性が異なるグループを敵視し、乱闘にまで発展するという、「スタイルの暴動」とも言われる、まさにイギリスらしい事件でした。
この事件を描いた『さらば青春の光』(漫才師じゃないですからね)の続編映画が37年ぶりに現在制作されていると知ってビックリです。
見たいような、見たくないような・・・・
主人公のジミーなど、1979年当時のオリジナルキャストも出演するようです。
この事件は、モッズ側からはWho原作の映画『さらば青春の光』で描かれ、ロッカーズの側からは、”ストレイキャッツ”のデビューアルバムに収録されている「Rumble In Brighton」で歌われています。
1981年のライブ。ブライアン・セッツァーが若い!
聞いている音楽やファッションの指向性が異なるグループを敵視し、乱闘にまで発展するという、「スタイルの暴動」とも言われる、まさにイギリスらしい事件でした。
この事件を描いた『さらば青春の光』(漫才師じゃないですからね)の続編映画が37年ぶりに現在制作されていると知ってビックリです。
見たいような、見たくないような・・・・
主人公のジミーなど、1979年当時のオリジナルキャストも出演するようです。
当時Policeのスティングが出演していることも話題でした。
66年にはモッズはヒッピーカルチャーに吸収されて消滅し、スキンズというより過激なグループに変容していきますが、たった3年間のブームが世界中に波及し、今でも受け継がれているという非常に影響力のある現象だったのです。
それから50年が経過し、日本のモッズバンドである”コレクターズ”が武道館でワンマンライブを行うという、、、英国におけるたった3年間の出来事が、時代を超えて、東の果ての日本でもまだ影響力を持っているなんてスゴイことですね。
それから50年が経過し、日本のモッズバンドである”コレクターズ”が武道館でワンマンライブを行うという、、、英国におけるたった3年間の出来事が、時代を超えて、東の果ての日本でもまだ影響力を持っているなんてスゴイことですね。
”コレクターズ”、ブルーハーツと違って、30年間もモッズを貫くなんて偉いです。
さて初回はモッズについて書きましたが、今回は東京の多摩地区の音楽シーンについて、3話に渡ってお届けしたいと思います。
西東京はまさにカルチャーの震源地なのです。
次回に続く
西東京はまさにカルチャーの震源地なのです。
次回に続く