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自分と向き合う体験、散歩のススメ

東京
May 27,2020

誰にでも、あの曲聞いたことあるけどなんだか懐かしい、あの映画の1シーンであの頃を思い出す。

当時別に大好きだったわけではないし、お気に入りでもない、普段生活している中ではすっかり忘れてしまっているのだけれど、ふとした何かのきっかけで思い出す。

そんなものがきっと誰にでもあるはずです。

この絵と出会ったのは高校2年生の時
僕にとってその1つが岸田劉生でした。
予備校に通っていた高校生の頃、彼の絵が時々話の中で取り上げられたことがありました。
彼の写実力について先生が話したのかもしれないし、麗子像と同じ髪形をした予備校の女の子をからかう時に誰かが名前を出したのかもしれない、あるいは画集で見たのかもしれない。
まったく記憶はないですが、10代の後半、彼の絵は脳裏に刻まれたのでした。
子供も怖がる「麗子像」。
岸田劉生の代表作は「麗子像」です。
おかっぱの髪形をした自分の娘を描いた作品で、有名だからみんなも見たことがあるでしょう。
シリーズで何枚も描いています。
国の重要文化財に指定されていますが、僕は好きではありません。
実物より顔が大きく、手は極端に小さく描かれ、人形のようにも見える。
娘の内面を描き出したのだろうか。
娘の性格はわかりませんが、その微笑みにただならぬ妖気?執念?のようなものを感じます。
これが娘への愛情表現なのか、とにかく強いインパクトがある絵です。
写実に徹しているけれど不安定な、不思議な絵
岸田劉生は、1891年(明治24年)に東京の銀座で生まれました。
大正から昭和の初めにかけて活躍し、38歳の若さで亡くなります。
彼のもう1つの傑作が、1915年に描かれた風景画「切通しの写生」。
こちらも重要文化財。
この絵は、上野の国立近代美術館に常設展として、いつも展示されているので、高校生の頃、予備校の友人たちと企画展のついでに、数回見に行きました。
実物を何度か見たこともあって、麗子像より、この絵の方が馴染みがあります。
セザンヌの影響を受けていた岸田劉生。
この作品もセザンヌの静物画のようにリアルで、細部まで緻密に描かれていますが、それだけではないですね。
坂の向こうには何があるのだろう?
もしかして崖なんじゃないだろうか?
どこか不自然で、オカルティックな、横溝正史の小説「病院坂の首くくりの家」を思い出させるような、不思議な絵です。
粘土のように盛り上がった赤土、抜けるような青空、真っ白な壁
晴天で空へ抜けている坂道は、さわやかな情景のはずなのに、まったくそうは見えない。
何かの心象描写を重ねて合わせているのでしょうか
ただの風景画ではない、独特の不安定さがこの絵の魅力であり、心の記憶に刻まれる理由なのです。
自転車で走っている時に偶然見つけた記念碑
写真では伝わりにくいですが、見たことのない特徴的な坂道
さて話は飛びますが、コロナですっかり自宅にいる時間が長くなりましたが、個人的には近所の散歩にも発見があると感じるきっかけでもありました。
自転車で駄菓子屋に行くのが1ヵ月に1回のライフワークのようになっているのですが、その駄菓子屋の帰り道にあるものを発見。
コロナになる少し前のことです。
それをきっかけに岸田劉生の絵を思い出し、彼が渋谷に住んでいたことを知るのでした。

場所は西参道から1本入ったところ、駅は参宮橋が一番近いでしょうか。
その道は以前も何度か自転車で通り抜けたことがありましたが、かなり急な勾配で、電動アシストがない自転車だと登りきるのはなかなか大変です。
坂の上からの景色がなんとも特徴的で、今まで見たことのない不思議な坂道だと感じていました。
急角度で下がって、下がり切った後は、すぐ登り坂になる地形で落差が激しい。
先が登りになっているので、上から見るとスキーのジャンプ台のようです。
近所は、すごく坂道が多いエリア。
渋谷駅周辺と同様に、縄文時代は海か、ここに池があったんじゃないかと思わせる地形をしています。
その坂道に碑が立っているのを発見しました。
この場所で描かれていたんですね。
岸田劉生の描いた切通しの坂は、ここで描かれていたんですね。
10代の頃からこの絵の実物を見ていたので、かなり驚きました。
描いた場所がまさか渋谷だったとは思いもよらず、谷中など東京の東地区のどこかだろうと勝手に思っていました
100年前、大正時代の渋谷がこんな風景だったとはあまり想像できません。
アスファルトの下は、描かれているように粘土のような赤土なんですね。
関東ローム層?
1970年代までは絵の中にある白い塀が存在していました
散歩のふとしたきっかけで、岸田劉生が描いた絵の現場を発見。
そして、岸田劉生の絵を知った高校生の時の自分を回想。
安井曽太郎や松本竣介のデッサンに初めて触れたのが16歳。
天才だと思った。
そして高3になると、フランスの画家 ドミニク・アングル、その師匠のダヴィッドを知り、同時にファン・アイクやフェルメールなどのオランダ系の画家たちの作品にも触れました。
当時池袋西武の最上階にあったアールビヴァンで画集を読み漁った。
思えば、アメリカを代表する現代リアリズムの画家 アンドリュー・ワイエスの作品を最初に見た時の衝撃も高3の時だった。
その中で、自分が表現主義ではなく、古典にルーツを持つ新古典主義的な写実の力を持った画家が好きだということを、18歳で自覚していくのでした。
10代の頃、写実を通して色々なものを学びました。
すっかり忘れていたけれど、岸田劉生の切り通しの坂の絵もその1つだった。
10代の松本青年は色んな作品から色んなインスピレーションを感じ取っていたのです。
しかし、映画のような誇張したシーンを描くカラヴァッジョの絵は、あまり自分には響かなかったなぁ・・・
散歩の出会いから色々なことを思い出したのでした。
クリエイティブ思考の訓練に散歩は必須だという研究結果もあり、スティーブ・ジョブスも実践していたそうですが、確かにPCの中にはない発見、出会いが散歩にはきっとあります。
そこから自分を見つめ直すよい体験でした。

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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