東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。
水島新司さんと父 松本正彦
Jan 27,2022
また残念なニュースが入ってきた。
昨年末に亡くなられたさいとう・たかをさんに続き、野球漫画で知られる水島新司さんが亡くなってしまった。
昭和生まれの男子なら(女子でも)、きっと誰もが水島さんの漫画に触れたことがあるだろう。
特に「ドカベン」は広く知られている。
野球漫画で一世を風靡した水島さん
父とさいとうさんは、大阪にあった日の丸文庫で共に作品を描き、大阪だけでなく、東京でも一緒に生活をしながら新しい漫画の表現を模索していた。
そのことは前回このブログにも書いた通りだ。
https://www.dig.co.jp/blog/danwashitsu/2021/12/-1-2.html
日の丸文庫で作品を発表していた父とさいとうさんの次の世代、そこに「がきデカ」で知られる山上たつひこさん、そして水島新司さんがいた。
お二人とも日の丸文庫からデビューし、大手出版社の雑誌に移行していった。
そのことは前回このブログにも書いた通りだ。
https://www.dig.co.jp/blog/danwashitsu/2021/12/-1-2.html
日の丸文庫で作品を発表していた父とさいとうさんの次の世代、そこに「がきデカ」で知られる山上たつひこさん、そして水島新司さんがいた。
お二人とも日の丸文庫からデビューし、大手出版社の雑誌に移行していった。
野球漫画といえばやはりドカベンでしょう。
さいとうさんと水島さん、そして僕の父たちは、大阪の日の丸文庫でともに作品を描いていた仲間だった。
以前、病床にあった父の代わりに出席した会合で、はじめて水島さん本人にお会いする機会があった。
僕のことが紹介されると、水島さんはすぐに距離を詰めて接近してきて、「お前、親父にそっくりだなぁ」と言って、僕の頬を撫でながら、時々片手で軽くピシャピシャと叩かれたことが忘れられない。
それが彼流の挨拶なのか、親愛の情なのかはわからなかったが、初対面の人に頬を撫でられるという、親戚にもされたことのない、なんとも奇妙な、しかしながら強く記憶に残る体験だった。
以前、病床にあった父の代わりに出席した会合で、はじめて水島さん本人にお会いする機会があった。
僕のことが紹介されると、水島さんはすぐに距離を詰めて接近してきて、「お前、親父にそっくりだなぁ」と言って、僕の頬を撫でながら、時々片手で軽くピシャピシャと叩かれたことが忘れられない。
それが彼流の挨拶なのか、親愛の情なのかはわからなかったが、初対面の人に頬を撫でられるという、親戚にもされたことのない、なんとも奇妙な、しかしながら強く記憶に残る体験だった。
「野球狂の詩」水原勇気を演じた木之内みどりは可愛かったなぁ
父が亡くなった時に、水嶋さんに連絡を取った。
父の作品集を出版したいので、父のことについて何でもよいので書いてもらえませんか?というお願いをした。
その急なお願いに快諾いただいて、送られてきた文章が以下のテキストだ。
僕のまったく知らなかったこと、そして世間の人も全く知らないであろうことが書かれていて、個人的にはとても驚いたことを覚えている。
---------------------------------
「恩人」松本正彦先生
松本正彦先生の名前を聞く時、私は先生の顔より、作品より、まず「恩人」の2文字が脳裏をよぎります。
漫画家として何もかものスタートに松本先生がいらしたのです。
昭和32年、大阪日の丸文庫発刊、探偵ブック「影」の10号に第1回「影」新人杯の募集が載っていました。
当時、新潟で父の魚屋を手伝う17歳の私は、これを目にして早速応募しました。
A5判の10ぺージ読み切りの規定でした。
2作品応募して、そのうちの1作品が2席に入選したのです。
授賞式に出席し、その後日の丸文庫で住み込みで働きながら漫画の勉強をすることになりますが、その審査員のお1人が松本正彦先生だったのです。
10人余りの審査員の中で、ほとんどの先生が私の絵はさいとう・たかをを真似たものだと評価が低く、入賞から外されたそうです。
これはのちにさいとう先生からお聞きしたんですが、「わしと松本氏が将来性があると強く推したんやで」ということでした。
このお二人がいなければ、私の今の存在はないというわけですから本当に感謝しております。
不思議なもので推薦してくれたからというわけでは決してありませんが、私も「影」では松本先生とさいとう先生の作品が特に好きでした。
ですからきっと絵はさいとう先生、話は松本先生的だったと思います。
もちろん松本先生が「駒画」、さいとう先生が「劇画」を唱えていたことは知っておりましたが、私にとってそれはどうでもいいことで、「松本先生の作画」でいいのでした。
今ひとつ残念なのは、いつか松本先生との久々の再会があった時に「駒画」を唱えたことについてお聞きしたかったのに、それが実現できないままお別れしたということです。
「ドカベン」「あぶさん」「野球狂の詩」など私の作品の礎を創ってくれた松本作品に心より感謝いたします。
水島新司
---------------------------------
このコメントはこちらの書籍に収録されています
https://www.shogakukan.co.jp/books/77803117
父の作品集を出版したいので、父のことについて何でもよいので書いてもらえませんか?というお願いをした。
その急なお願いに快諾いただいて、送られてきた文章が以下のテキストだ。
僕のまったく知らなかったこと、そして世間の人も全く知らないであろうことが書かれていて、個人的にはとても驚いたことを覚えている。
---------------------------------
「恩人」松本正彦先生
松本正彦先生の名前を聞く時、私は先生の顔より、作品より、まず「恩人」の2文字が脳裏をよぎります。
漫画家として何もかものスタートに松本先生がいらしたのです。
昭和32年、大阪日の丸文庫発刊、探偵ブック「影」の10号に第1回「影」新人杯の募集が載っていました。
当時、新潟で父の魚屋を手伝う17歳の私は、これを目にして早速応募しました。
A5判の10ぺージ読み切りの規定でした。
2作品応募して、そのうちの1作品が2席に入選したのです。
授賞式に出席し、その後日の丸文庫で住み込みで働きながら漫画の勉強をすることになりますが、その審査員のお1人が松本正彦先生だったのです。
10人余りの審査員の中で、ほとんどの先生が私の絵はさいとう・たかをを真似たものだと評価が低く、入賞から外されたそうです。
これはのちにさいとう先生からお聞きしたんですが、「わしと松本氏が将来性があると強く推したんやで」ということでした。
このお二人がいなければ、私の今の存在はないというわけですから本当に感謝しております。
不思議なもので推薦してくれたからというわけでは決してありませんが、私も「影」では松本先生とさいとう先生の作品が特に好きでした。
ですからきっと絵はさいとう先生、話は松本先生的だったと思います。
もちろん松本先生が「駒画」、さいとう先生が「劇画」を唱えていたことは知っておりましたが、私にとってそれはどうでもいいことで、「松本先生の作画」でいいのでした。
今ひとつ残念なのは、いつか松本先生との久々の再会があった時に「駒画」を唱えたことについてお聞きしたかったのに、それが実現できないままお別れしたということです。
「ドカベン」「あぶさん」「野球狂の詩」など私の作品の礎を創ってくれた松本作品に心より感謝いたします。
水島新司
---------------------------------
このコメントはこちらの書籍に収録されています
https://www.shogakukan.co.jp/books/77803117
小学館から出版されている父の書籍「隣室の男」
前回、さいとうさんが父について語ったコメントも紹介したが、さいとうさんだけでなく、水島さんの作家デビューの背景にも父の存在があったということは、初めて聞く内容だった。
お二人とも自分の作品に父からの影響があるということを書かれているが、父からそんなことは生前一言も聞いたことがない。
父はそうしたことを自分からは決して言わない人だった。
そして漫画のことも僕には一切話さなかった。
しかし、ご本人たちが話されているように、さいとうさんや水島さんの作品の背景に父の存在があるなら、それは大変に光栄なことだ。
漫画表現は、多くの人たちの知恵や血のにじむような努力、革新によって進化し、今に至っている。
しかし、それがどこから始まったのかということは、ほとんどの人は知らない。
お二人とも自分の作品に父からの影響があるということを書かれているが、父からそんなことは生前一言も聞いたことがない。
父はそうしたことを自分からは決して言わない人だった。
そして漫画のことも僕には一切話さなかった。
しかし、ご本人たちが話されているように、さいとうさんや水島さんの作品の背景に父の存在があるなら、それは大変に光栄なことだ。
漫画表現は、多くの人たちの知恵や血のにじむような努力、革新によって進化し、今に至っている。
しかし、それがどこから始まったのかということは、ほとんどの人は知らない。
自分が持っているフィンガーファイブのアナログレコードも水島さん
水島さんの息子さんは一時期、北野武のたけし軍団に加入して、よくテレビに出ていた。
芸能という派手な世界に身を置くのは、自分と異なる志向を持つ人という印象が強いが、日の丸文庫時代の自分の父親の作品を探して集めていると聞き、その点では自分と共通する親近感があり、一度お会いしてみたいという気持ちがあるが、今までお会いしたことはない。
水島さん、漫画に賭けた人生お疲れさまでした。
そしてありがとうございました。
芸能という派手な世界に身を置くのは、自分と異なる志向を持つ人という印象が強いが、日の丸文庫時代の自分の父親の作品を探して集めていると聞き、その点では自分と共通する親近感があり、一度お会いしてみたいという気持ちがあるが、今までお会いしたことはない。
水島さん、漫画に賭けた人生お疲れさまでした。
そしてありがとうございました。