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新年は、大竹伸朗先輩の回顧展から

クリエーター
Jan 19,2023

今年もよろしくお願いします!

年末年始は穏やかな陽気で皆さんゆったり過ごせたのではないでしょうか。

毎年思いますが、年初の成人の日を連休にしたというのは、とてもよいですよね。

以前の、1/15が固定の祝日だった時と比べると、まったく違います。

年末の休み明けから、仕事の慣らし運転には成人の日の連休がとても効果的だと思います。

国が決める政策でよいことってあんまりないけど、この決定はとてもいいですね。

駅のサインだと思いきや、これが展示なのです。
ちょっと更新が遅くなってしまいました。
コンペが続いたり、色々あってブログに手が付けられず、このところあまり気持ちに余裕がありません、、汗 
大学の講義にも時間取られているしね。
主にSNSを中心としたイメージによるコミュニケーションが主流な中、こうした長文のコンテンツを毎週書いていくことは大変な業務でもあるのですが、頑張っていこうと思います。
今年もよろしくお願いします。
異様な魅力を放つ水面の油彩。
さて、年明け1発目のコンテンツはアートから行きましょう。
成人式の連休に、いま東京国立近代美術館で開催されている大竹伸朗展を見てきました。
この展示を見に行こうと思った理由は5つあります

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1,自分が卒業した同じ大学の先輩であること
現代美術のジャンルでは同じく奈良美智さんも先輩です

2,この展示に自分の同級生の友人が所蔵品を貸し出していること
 持ってたんかい!とビックリですが、当時は今より安かったでしょう

3.大竹さんの自宅の設計は、母の家を設計した人と同じ建築家なこと
 他にも都築響一さんの家も設計していて施主のカテゴリーが似てますね

4.80年代、現代美術のヒーローだったこと
 当時はホントにエッジな作家でした(今も?)
 
5.現代美術以外にバンドもやってること
 同じ大学の先輩でバンドやってるっていうと親近感しかないです
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80年代、僕が大学生の頃は、サブカルとコンサバは決して混ざり合うことはなく、メインストリームとそれに対するアンチという図式がまだまだ強かった。
江東区の佐賀町で大竹伸朗の作品を鑑賞することは、極右的なサブカルであり、感度の高い尖がった人たちの限られた行為でした。
同じ現代美術でも、六本木ヒルズがオープンした頃、アイコンだった村上隆のように、アートを消費の仕掛けとして利用し、企業が出資して広く知らせるのではなく、純粋にカルチャー好きの人が体験するためだけに訪れる展示。
80年代、大竹伸朗はカルチャーの先端のポジションにいて、同じ時代を生きる現代美術家ということに共感した人たちが周辺に確実に存在していた。
消費のために企業が現代美術に投資して成り立つビジネスとは距離を置いた純粋な?現代美術が、カルチャーとして成立していた気がします。(なんか表現おかしいけど)
それが今こうして国立の美術館で大回顧展が行われるようになったんですねぇ(しかも2回目)
この作品で、ミスターピーナッツはとても有名になりました。
大竹伸朗といえば、一番知られているのはミスターピーナッツを描いた作品だと思います。
アメリカ企業のマスコットだったピーナッツのキャラクターを荒々しいタッチで模写した作品です。
80年代後半、バスキアのような、キース・へリングのような、即興で描いたポップなスタイルが注目を集めていました。
これらの流れを、日本ではニューペインティングと呼び、自分のいた大学でもニューペインティングのスタイルで作品を制作する学生も多かった。
吉田カツなどイラストレーションのジャンルにも波及していたと思います。
会場でひと際目を引くのが場末のスナックのインスタレーション。
その後、東京現代美術館で開かれた大規模な展覧会「大竹伸朗 全景」
アートブック「ニューシャネル」、そして膨大なコラージュ作品も話題となりました。
今回の展覧会でも圧倒的な熱量で作られた膨大な量の作品が展示されています。
今、改めてそれらを見て感じるのは、極めて私的な製作行為だということ。
リアルタイムで見た当時は、あまりそんなことは感じませんでした。
むしろスタイリッシュで、ソフィスティケートされているとすら感じたものです。
今見ると、それらは昭和的であり、キッチュであり、土着的です。
フィジカルを伴う膨大な量の印刷物のカット&ペースト、
その手法によって自らが体験した時間を記憶として定着させた表現。
深い、深すぎます。。
みんなが捨ててしまうような下世話なチラシ、ヌードグラビア、場末のスナックの雰囲気、昭和の歌謡曲、雑誌から切り取られた広告アイコン。
言うなれば、高度成長期にあった日本の原風景、時間がそこに定着されています。
捨てられ、忘れ去られた印刷物を集めて再編集するその行為自体が芸術であるかのよう。
都築響一さんのセンスに共鳴する世界観も見え隠れします。
こちらもスナックと同じセンスな「ニューシャネル」
会場には20代の若い人たちがたくさん来ていました。
中にはカップルで来ている人たちもいたけど、彼らは情報の痕跡のような記録作品を見てどのように感じるのだろう?と思います。
このようなアナログの手法によって作られた体験の記憶、時間を定着させる行為は、デジタルでは難しいでしょう。
情報を集め、再編集によって反芻するような行為。
そこには検索性も、データベース性も、UIもありません。
体験という、極めて私的な行為です。
彼らはそこに共感できるだろうか?
カップルは、会場を出たカフェで、この展示についてどんな会話をするのだろうか。
見ていて、そんなことを思いました。
圧巻なのは膨大な時間のコラージュともいえる作品群。
圧倒的な熱量で、80年代の空気がそのまま封じ込められているよう。
会場で大竹さんの作品に触れていると、自分が大学で学んでいたあの時代を少し思い出しました。
アートとは本来ドロドロとしたもの、異端の中から生まれるもの、そのようにずっと思っていた時代。
自分は現代美術に詳しいわけでは全然ないですが、今の現代美術は概念が少しずつ異なって来たのかなとも感じます。
展覧会は2/5まで開催していますから、体験したい方はこの機会に是非。

最後に。
大竹さんは僕と同じ大学の著名な先輩です。
僕が大学に通っていた当時から現代美術のヒーローのような存在でした。
だから自分の同級生の友人も、大竹さんの作品を所蔵しているのだと思います。
大竹さんと同じように、当時僕らがリスペクトしていた大学の先輩がもう一人。
それが高橋幸弘さんでした。
米津 玄師の「M八七」のPVロケ地、ムサビの10号館。
大学の同級生の友人にミュージシャンのテイトウワ君がいますが、彼は晩年の幸弘さんと一緒にメタファイブというバンドをやってました。
テイ君は坂本龍一がパーソナリティを務めたラジオ番組「サウンドストリート」に自作のテープを送って認められ(たぶん大学2年生の時だったと記憶してます)、卒業後、渡米してDEE LIGHTで全米チャートの1位を獲得します。
彼も明らかにYMOから強い影響を受けていました。
自分の憧れであり、目標としていた神のような人と一緒に活動できるなんて、夢のようで素敵だなぁと思って見ていました。
大学の先輩で同じ志を持った憧れの人とつながり、共に活動できるなんて、こんなに素晴らしいことはないですよね。
幸弘さんがいなくなってしまったことはとても残念ですが、みんなの胸にその音楽は間違いなく刻まれています。
そこからまたテイ君のような人が1人でも多く現れて、次にバトンをつないでくれるはず。
先週母校で行われていた卒業制作展に行ってきました。
今回はたまたま大学のつながりで、色々な話をしました。
芸術でも音楽でも、クリエイティブにはルーツがある、
そこから何らかの啓示やインスピレーションを受け、それが自分の表現につながっていく。
日々の貴重な出会い、そうした体験を大切にしたいですね。

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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