談話室松本をリニューアルしました。
これまでの談話室松本はこちらからチェックできます

  1. top
  2. 私の履歴書
  3. 私の履歴書 人生で志すことを決めた時 1

私の履歴書 人生で志すことを決めた時 1

私の履歴書
Aug 14,2024

人生には、その後の人生を決定づける転機が数回訪れる。

少なくとも自分には4回あった。

今思えば、もしあの時そうしていなかったら、今の自分はないだろうと思うものばかりだが、それはきっと誰にでも平等に必ず訪れるものだと思っている。

父の作品のフランス語版。自分が辿った道と父親とは切り離せない。
しかしながら、そうした後の生き方を決定づける人生の岐路に立った時、どちらに進むかを決めた理由は何だったのだろう?と思うことがある。
岐路はチャンスであるとも言える。
チャンスが訪れるのは、すべての人に平等であり、全員の人生に同じ回数訪れるはずだと自分は勝手に思っている。
ただそのチャンスが訪れた時、いやその時点ではチャンスかどうかもわからない状態だが、2つに1つを選ばなければならない時に、そのどちらかを選ぶのは自分自身だ。
選択肢の提示が目の前にあってもスルーしてしまったり、そこで誤った選択をしてしまうのは当然ながら自分自身であり、自己責任だ。
そのことを運が良い、悪いと言ったりするが、決して偶然が作用しているだけではないと思う。
運とは自分が引くものであり、それを引くのは自分の日常の生活に対する姿勢や考え方に関わっているように感じる。
運というのは、生まれ持った先天的要素もあるだろうが、むしろ後天的な要素の方が強いのではないだろうかと思う。
もしその後、チャンスにつながるかもしれない機会が訪れ、複数の選択肢を提示されたとしても、それに気づかない人、見過ごしてしまう人、そういう人には選ぶという決断行為すら発生しない。
それに気が付き、つかみ取るのは、何の作用が働いているのだろうか。

誤解しないで欲しいのだが、成功するか、しないかの話をしたいのではない。
そもそも成功とは何かという概念も、人によって異なるはずだ。
金持ちになれるかどうか、という話でももちろんない。
そうしたステレオタイプの話ではなく、なぜ自分はここにいるのか?という話だ。
人生の道を決める選択は、必ず全員に訪れるということ。
それがいつだったか、思い当たる出来事が必ずあるはずだ。
その時は明確な自覚はないが(むしろ無意識)、振り返ってみるとあの時の経験があったからこそ、と誰もがみんな感じる共通の経験のことを言っている。
決して人生の浮き沈みの話ではない。
マンガで食べていくことを志した父も、きっとそうだったに違いない。
自分の人生を決定づけた瞬間は、分かれ道に立たされ、2つのいずれかを選ばなければならない選択を迫られた時だ。
それは偶然だったり、外部からもたらされる「たまたま」だったりする。
自分で探して見つかったというより、偶然の出来事によって選択肢が浮上してくるのだ。
選択を突き付けられ、どちらかに決めるのは自分だ。
その決定には根拠はあったのか?
今でもよくわからない。

自分にも、その後の人生を決定づける経験が明確にあった。
自分の場合、それは人との出会いなど、外部から偶然もたらされたことと関係している。
それが確実に自分の人生の岐路だったと、今でも思い返す出来事だ。

次回へ続く

SHARE THIS STORY

Recent Entry

松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
    青山ブックセンター