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小学校のつながるプロジェクト リアル版

私の履歴書
Aug 01,2024

前回この談話室では、自分がPTAの役員を6年間務めたことを書きました。

今は小学校最後の年に、委員長という立場でPTA活動に参加しています。

今までの活動を通して、社会について学ばなくてもいいことまで(半分以上が学ばなくてもいいことだけどw)たくさん学んできました。

おおまかに言うと、大変なことだらけだけど、良いこともあるよって話です。

子供がお世話になった校長先生と一緒にバンドやるなんてね。
自分は役員に与えられた活動ではなく(もちろんそれを行った上でさらに)、クリエイティブの面で子供が通う小学校に貢献してきました。
自分が一番できることは、やっぱりそこかと。
5年前に副会長を担当した時に立案した、スクールブランディングのTシャツを着て学校に通う子供たちを見かけると、ほっこりします。
学校には5年前にデザインした「つなぐ、つながるプロジェクト」を紹介するポスターが、まだ廊下に貼られていて、今もバトンが渡されているのが嬉しいです。
ポスターは、もうボロボロですけどね。

https://www.dig.co.jp/blog/danwashitsu/2024/07/post-163.html

さて、普段会社で働いているだけでは、ほとんど見ることができないような出来事をたくさん見て来たPTA活動。
そのほとんどが、「え、マジで?」なことばかりなんですが、そんな中でもいいことあるぜっていう話を今回は紹介したいと思います。
自分は同じ小学校に18年も通ってます。
それは子供の年齢が離れているからですが、さすがに18年も同じ小学校にいる保護者はほとんどおらず、どの先生よりも長い在籍という、、、汗
18年の間に校長先生は、5人代わりました。
毎年この商店街の夏祭りはスゴい人
自分が一番最初にPTAの役員を務めたのは、今から15年前。
初めてのことで何もわかりませんでした。
当時のお母さんたちはスマホを持っていない人もいて、ガラケーでLINEもないし、メールと対面でのコミュニケーションが主でした。
そのため年間で60回も学校に通ったことを覚えてます。
あの頃は運動会も今と違って長時間に及んでいたし(朝から夕方までだったけど、我々にしたらそれが普通)、まだ親とお弁当を食べる時間があった頃で(今の運動会は午前中で終わり)、他にも親が駆り出されるイベントが多くあって、その度に毎回聞かされる校長の話も長かった。
今では時短で、校長の話も半分になったし、区長からのお話もカットです。
PTAの負担も軽くなり、それはそれで良い面もあると思います。
写真はPTAを一緒にやったプロの田部さんが撮ってくれました。
僕が最初に担当した古き良き時代のPTA活動の中で出会ったのが、副校長先生でした。
当時は役員たちで色々なイベントを企画したり、新しいことをやろうとしていたんですが、ことごとく当時の校長先生に却下され、そのすべてが過去に前例がないからという理由で、その度に古い考えの校長にがっかりしたものです。
そんな中、私たちに賛同してくれたのが当時の副校長先生でした。
ちなみに教頭先生というポジションは現在の小学校にはなく、それに代わる呼称が副校長先生です。
副校長先生の発言からは、常に子供ファーストという気持ちが伝わってきたし、明確な理由もなくダメだという校長とも戦ってくれました。
教育に熱心で、私たちの言葉にいつもきちんと耳を傾けてくれたのが副校長先生でした。
副会長を務めていたこともあって、話す機会が多かった自分は、副校長と仲良くなって一緒に呑みに行く機会もありました。
副校長先生は僕らの通う小学校に4年間在籍した後、遠い父島へ転勤(転校?)になります。
在籍した最後の年の卒業式で司会を務めておられましたが、司会をしながら泣いていました。
子供好きで、熱心な先生だということが、そんな姿からも伝わってきました。
よい先生でした。
僕と副校長先生は、その後遠く離れた父島の渋谷の間で年賀状のやり取りが始まります。
ベースはプロの吉兼さん
それから11年。
ずっと年賀状のやり取りを続けて、去年の夏11年ぶりに副校長先生に会うことになったんです。
場所は小学校の近くの商店街、同じく卒業生の母親が営むお店での再会でした。
久しぶりの再会は楽しかった。
現在は江戸川区の小学校で校長先生を務められているとのこと。
肩書は副校長から校長先生に変わったけど、ご本人は変わっていないことも嬉しかった。
その時、小学校から一番近い商店街で毎年行われる夏祭りで、バンド演奏のイベントがあることが話題に上がりました。
他の地域にある中学校の父親たちが毎年バンド演奏で出演していた。
一番近くにあるのは僕らの小学校なのに、なぜそこからバンドは出ないんですかね、出たらいいのにねという話から、副校長が在籍した小学校を代表して、一緒にバンドで出ませんか?という話になりました。
15年前、自分が副会長を務めていた時、副校長に小学校の体育館でバンド演奏のイベントの開催を持ちかけたことを思い出したんです。
その時に先生がギターを弾くことを知りました。
酒の席なんで、冗談半分での話とも受け取れますが、もちろん自分は本気です。
サイドギターは、去年PTA会長を務めた笠木さん
だから1年経った今年の春「そろそろスタジオに入りませんか?」と連絡したんです。
先生も喜んでやる気でした。
先生がリードギター、僕がドラムをやるということでまとまった。
嬉しかったなぁ
どうせなら全員同じ小学校の関係者を集めたい、そう思った僕は色々な人に声をかけ、ギターやベースの人を探しました。
結果ギターはPTAの元会長、ベースは委員のお母さんの弟に決まり、最後までボーカルが見つからなかったので、最終的に先生が歌うことになりました。
先生が歌うことになったので、曲は先生が歌える曲、歌いたい曲を選んでくださいと。
先生が選んだ曲は、3曲。
Rolling Stonesが2曲と、TREXの20th Century Boyでした。
渋い!
Stonesを選ぶ校長って、、、なかなかいないと思います。
不良ですね 笑
聞いたらStonesが大好きとのことでした。
ドラムはワタクシです。
初顔合わせでスタジオに入った時は、お互い少し緊張してましたが、回を重ねるごとにだんだんと打ち解けて楽しい練習になっていきました。
バンドの演奏も良い感じに。
自分の子供が通っている小学校の元副校長であり、現役の校長先生と一緒にバンドをやるなんて、こんな体験ありますか?
東京でそんな校長います?
11年ぶりに小学校に帰ってきてくれました。
練習から本番まで、本当に楽しい時間でした。

本番の夏祭りの日は気温が34度もあり、直射日光を浴びての演奏は本当に暑くて死にそうになりました。
体感だと40度くらいあったと思います。
しかも2ステージあって、2回めの演奏が終わった後は、マジで具合が悪くなった。
ビールもそこそこ飲んでいたし、たぶん熱中症ですね。
11年前の手紙を読み上げる副校長先生
ライブ中に先生は、小学校に在籍していた時に、誰かからもらった手紙を読んでいました。
それは11年前、児童の母親の誰かが、副校長先生宛に送った励ましの手紙です。
うろ覚えなので正確ではないけれど、以下のような内容でした。
子供のことを一番に考えてくれて、常に耳を傾けてくれている先生、その姿は副校長先生らしくない先生だけれど、それが先生の一番の良さです。
そういうところを親はみんな、見てないようで見ていますよ。
父島に行ってしまうのは残念だけれど、先生ならどこへ行っても必ず応援してくれる人がいます。
頑張ってくださいというような内容でした。
学校に設置されたアンケートの箱に入っていた差出人のないこの手紙を、先生は大切に11年間保管していて、帰って来たこのお祭りの場でお礼を伝えたく、ここで読みます、と紹介していました。
屋外での直射日光浴びての演奏はマジ暑かった。。。
その手紙が投稿された11年前から、自分も副校長先生には会ってませんでした。
11年前父島に行ってしまう前日の卒業式が、先生と会った最後の日です。去年会うまでは。
それがこうして再びつながって、一緒にバンドをやるなんてね。
人生には色んなことがあります。
でも楽しいと感じることは、自分から能動的に動いでやってみた方がいい。
やればきっと楽しいはずです。
人と人の偶然の出会いは、こうして形になるのです。
自分が発案した「つなぐ、つながる、プロジェクト」は「想いをつなぐ」がコンセプトでした。子供が通う小学校を通して実現できたこんな体験、このイベントも立派な、想いをつなぐリアルな「つなぐ、つながる、プロジェクト」だと思います。
校長先生と一緒にバンドやるなんて一生の思い出
PTA活動では様々なことを体験しました。
体験すべきではないことまで体験したなどと書きましたが、こんな良いこともあります。
人生の想い出になる忘れられない出来事。
自分が体験した面倒な出来事は、このバンドの体験1つでチャラです。
PTAをやっていろんな人に会えて、結果的には良かったなぁと思えた出来事でした。
人のつながりは大切だし、それによって自分もかけがえのない楽しい体験ができる。
人生の大切な何かを、教えてくれているような気がします。

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松本知彦 Tomohiko Matsumoto

東京新宿生まれ。
漫画家の父親を持ち、幼い頃より絵だけは抜群に上手かったが、
働く母の姿を見て葛藤し、美術を捨てて一般の道に進むことを決意。
しかし高校で出逢った美術の先生に熱心に説得され、再び芸術の道に。
その後、美術大学を卒業するも一般の上場企業に就職。
10年勤務ののち、またしてもクリエイティブを目指して退社独立、現在に至る。

  • 趣味:考えること
  • 特技:ドラム(最近叩いていない)
  • 好きなもの:ドリトス、ドリフターズ、
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